田村泰彦(カメラ愛好家)の写真・画像集です。1980年代半ば、コンパクト・カメラと呼ばれるハンディなカメラは、100種類近く出回っていました。このうちの7割が、自動巻き上げ、自動露出(AE)、自動焦点(AF)を備え、暗いところでは内蔵ストロボが働くというように、至れり尽くせりで、「全自動コンパクト」といわれていました。カメラやレンズ、フィルムの知識がなくても簡単に写真が写せる便利さで、大きさも女性のハンドバッグに納まるほどでした。しかし、これほど種類があると、選ぶのに迷ってしまうものでした。
1986年ごろ、カメラ選びの材料になっていた特徴や機能を、いくつか振り返ってみます。
撮影レンズの汚れは、写りを悪くする原因でした。そのため、使わないときにはキャップをかぶせたり、カメラをケースに納めたりしたものです。しかし、レンズキャップはなくしがちでしたし、ケースに入れたのでは、とっさの撮影に役立ちませんでした。そこで当時は、組み込まれたキャップが開閉するキャップレス型や、ファインダーまでカバーするカプセル型というデザインが多くなっていました。ちょっとしたことのようですが、意外に使いやすいものでした。
ファインダーをのぞくと、中央部に四角い枠が見え、その中にある被写体にピントが合う仕組みでした。そのため、2人並んだ人物の記念写真を撮る場合には、ちょっとした注意が必要でした。2人の間の空間に枠があると、そのままシャッターを切ったのでは、人物の後方の景色のほうにピントが合ってしまい、人物はピンボケになったのです。
こういうときは、どちらかの人物を枠内に入れてシャッターボタンを半押し(AFロック)してから、2人が画面に入るように構図をなおし、シャッターを押し切る必要がありました。
この「半押し」は、慣れるまでちょっと練習がいる操作でした。そこで、シャッターボタンとは別のボタンやレバーでAFロックさせる機種も出回っていました。
当時の全自動カメラには、自動的に明るさを調節してくれるプログラムAEという機構が組み込まれていました。ただ、これにも泣きどころがありました。室内で窓を背にした人物の撮影や、晴天下の逆光撮影では、写したい人物より周囲のほうが極端に明るいため、顔が黒っぽくつぶれてしまったのです。
この対策として、いくつかの工夫が施されていました。逆光時の露出補正ボタンを設けて画面全体の露出をオーバーぎみにする、ストロボを明るいときにも発光できるスイッチを設ける、といったものです。なかでも、オリンパスピカソAF1デートは、画面の中央部が暗いことを感知して、明るいところでも自動的にストロボが発光する仕組みを備えており、逆光による失敗を防ぎやすい機種でした。
当時のコンパクト機に付いていた撮影レンズは、記念写真向きの準広角(35~38ミリ)が中心で、人物のポートレートなど、クローズアップは苦手でした。そこで、60ミリから70ミリの準望遠レンズも使える「2焦点切り替え式」が、1985年(昭和60年)から出回りだしました。1986年(昭和61年)時点では、4機種ありました。ただし、レンズ部の突出が大きくなり、携帯には多少不便でした。
固定焦点カメラも見直されていました。AF機構に頼らなくても、遠景から1メートル近くまでピントが合い(パンフォーカス)、大伸ばしをしない限り、シャープな写真に見えたのです。また、3点ゾーンフォーカスなどの工夫をこらしたもの(オリンパスXA2など)も多く、安い割によく写るカメラでした。
レジャー用やフィールドワーク用として、防水構造の全天候型も見逃せない存在でした。生活防水型と、数メートルの水中撮影ができるタイプがあり、水や泥がつきもののスキーや釣りなどに便利でした。
| 題名 | 作品と説明 | |
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| 自分 |
<肖像写真(自撮り)>
「私は、若い人たちにいつも言っているんです。電車に乗ったが、あいにくカメラを持っていなかった。そんなときは、車内でカメラをぶらさげている人を見つけておきなさい。万一の場合は、その人からカメラを借りなさいと。チャンスは、向こうからは来ません。自分でつかまえるものです。そのためにはアマチュアであっても、いつも目を光らせておいて欲しいものです」 |
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